浄土真宗について|東京23区にある納骨堂【早稲田納骨堂】

浄土真宗について

早稲田納骨堂は【真宗大谷派 龍善寺】が運営する納骨堂です。宗派は、親鸞聖人を宗祖とする真宗(浄土真宗)大谷派(いわゆる「お東」)であり、本山は、京都・東本願寺になります。このページでは浄土真宗についてご紹介いたします。

浄土真宗について

浄土真宗は、鎌倉時代に親鸞聖人によって開かれました。普通に生活するわれわれが、普通に生活しながら救われる道(=念仏の道)を説かれました。 浄土真宗の救いは、自分からお願いして救ってもらうものではありません。 すでに、私たちの所に、阿弥陀仏の救いは届いているのだと思います。 後は、そのことに私が気付けるかどうかだと思います。 浄土真宗では、「悟る(さとる)」という字をあまり使いません。代わりに「覚 る(さとる)」という字をよく使うのも、その教えから来ているのでしょう。 また、住職が「覚った人」で、住職が信者に教えを説くということでもありません。 住職も、信者(=門徒。浄土真宗の信者の方を門徒と言います。)のひとりとし て、今、念仏の道を歩んでおります。 住職と共に同じ方向を向いて歩んでください。 親鸞聖人も、同じように念仏の道を求め、歩んで行く人々を「御同行(おんどう ぎょう)、御同朋(おんどうぼう)」として尊敬し共に歩まれて行ったのです。

浄土真宗について
浄土真宗の教え

仏教とは、この「いのち」を安心して最後の瞬間まで精一杯生きるための教えです。
決して、死んだ後のためではないのです。
大事なことは、この「いのち」が限りある「大事な」、「尊い」いのちであり、自分の「いのち」でありながら自分のものではないということだと思います。
赤ちゃんの時も、大人になった時も、病気の時も、年老いた時も「わたしの人生」なのですよと。お金があろうとなかろうと、病気であろうとなかろうと精一杯この「いのち」生きていける道を歩んでいくのですと。そうした「いのち」であるからこそ来世のことを確かにしておかないと安心して精一杯生きることができなくなりますよということだと思います。
そのためにお釈迦様は、修行をして煩悩を滅し去り、悟りを開かれました。
お釈迦様は、同じように修行を全うできる方は、修行をしてくださいと説かれました。あわせて、たとえ修行がかなわなくても、すべての人が救われる道が仏法の中にはあることも説かれています。そのことをあきらかにして下さったのが、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人です。
浄土真宗とは、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」という心からのお念仏だけで、必ずや極楽浄土という一切の苦しみがない真実の世界に、往生がかなうという教えです。「ただ念仏」と言われています。それが、阿弥陀仏の救済なのです。たとえて言えば、「われわれは、生まれながらにして、阿弥陀仏の手のひらの上に乗っているのだから、余計なことをしなくとも、そのままじっとしておれば、間違いなく極楽浄土に導かれるのです。そのことに気付かないものだから、余計なことをしては、その手のひらの上から自ら落っこちているのです。ただし、落っこちても落っこちても、次の瞬間、阿弥陀仏は、また、手のひらの上に乗っけて下さっているのです。にもかかわらず、際限なく落っこち続けている。それが今のわれわれの姿ではないのでしょうか。」ということです。
お念仏「南無阿弥陀仏」とは、「われわれのはからいを超えたいのちのはたらきに気づかせていただきました。阿弥陀仏にすべてをお任せいたします」という意味です。
つまり、阿弥陀仏の手のひらの上でじっとしています。という意味なのだと思います。
そして、そのことをすでに仏と成られた方々が、早く気づけ、早く気づけと願いを掛け続けてくださっている。それが仏様の意味なのだとも思います。
修行の有無、寿命の長さ、財産、地位、性別等々にかかわりなく、すべての人が、等しく平等に、今の生活のままで救われる教えです。自力をたのむ心のあやうさに気づいた方々のための絶対他力の本願の教えです。

浄土真宗の教え
真宗大谷派 東本願寺

"東本願寺は、浄土真宗「真宗大谷派」の本山で「真宗本廟」といい、御影堂には宗祖・親鸞聖人の御真影を、阿弥陀堂にはご本尊の阿弥陀如来を安置しています。宗祖親鸞聖人の亡き後、聖人を慕う多くの人々によって聖人の墳墓の地に御真影を安置する廟堂が建てられました。これが東本願寺の始まりです。

東本願寺は、親鸞聖人があきらかにされた本願念仏の教えに出遇い、それによっ て人として生きる意味を見出し、同朋(とも)の交わりを開く根本道場として聖人亡き後、今日にいたるまで、門徒・同朋のご懇念によって相続されてきました。 親鸞聖人は、師・法然上人との出遇いをとおして「生死出ずべきみち」(凡夫が 浄土へ往生する道)を見出されました。人として生きる意味を見失い、また生きる意欲をもなくしている人々に、生きることの真の意味を見出すことのできる依り処を、南無阿弥陀仏、すなわち本願念仏の道として見い出されたのです。 それは混迷の中にあって苦悩する人々にとって大いなる光(信心の智慧)となり ました。そして、同じように道を求め、ともに歩もうとする人々を、聖人は「御同朋御同行」として敬われたのです。詳しくは東本願寺のページを参照ください。

真宗大谷派 東本願寺
龍善寺の歩み

龍善寺は1638年(寛永15年)に創建

龍善寺は江戸時代の初め三代将軍家光の頃、1638年(寛永15年)に創建されました。宗派は真宗(浄土真宗)大谷派(お東)であり、宗祖は親鸞聖人、本山は京都・東本願寺になります。そもそも当時は、三河(現在の愛知県岡崎市)にある上宮寺の江戸支院として開かれました。上宮寺は、聖徳太子により、当初奈良において法相宗の寺として開かれたと伝えられ、わが国への仏教伝来以来の1500年近くの歴史を持っております。その後天台宗となり三河の地に移り、この地で盛んになる聖徳太子信仰の中心となっていきます。

三河の上宮寺

鎌倉時代に、浄土真宗の開祖であり、聖徳太子を深く敬っていた親鸞聖人は、20年間滞在した関東から京都に帰る途中、三河の地にしばらく留まります。親鸞聖人の説く念仏の教えに触れ、この地では、これ以降浄土真宗が盛んになり、上宮寺は浄土真宗の中でも最も古い信者(門徒)集団の一つである三河門徒の中心寺院として栄えていきます。そして、上宮寺は全国に100寺以上の支院を有し、京都の本山につぐ、中本山といわれるようになっていく訳です。

三河の上宮寺

上宮寺より移した阿弥陀如来の立像は、
新宿区の文化財に

江戸時代になり、三河から江戸に出て来た方々から、その上宮寺の本尊をぜひ江戸でもご開帳してほしいという声に応えて、その本尊をご開帳する寺として当寺は建立されました。本尊はやがて上宮寺に戻ることになる訳ですが、代わりに当寺の本尊として上宮寺より移した阿弥陀如来の立像は、800年前の鎌倉時代の作と言われ、新宿区の文化財となっております。また、上宮寺の本尊を戻す際に発見された胎仏である聖徳太子の像も当寺に保存されております。残念ながら、上宮寺は1988年(昭和63年)に火災で伽藍、本尊とも焼失してしまいますが、現在では立派に再建されております。

上宮寺より移した阿弥陀如来の立像は、新宿区の文化財に

2012年12月に新本堂が完成

2012年12月に新本堂が完成し、早稲田納骨堂もグランドオープンを迎えました。ご門徒さま、近隣の皆さま、多くの方のご協力を賜りまして本当にありがとうございました。皆様からのご恩に報いるべく龍善寺は新たにスタートいたします。

2012年12月に新本堂が完成

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